冷たい風が頬を刺す。リリアは、見知らぬ廃村の入り口に一人で立っていた。背負っているのは、小さな革袋一つだけ。中には、数枚の銅貨と、乾いたパンが一つ。それ以外は、何も持たされなかった。
「……ここが、私の新しい居場所なのね」
声は、風に溶けて消えた。周囲には、崩れかけた家々が点在し、雑草が生い茂っている。かつては人が住んでいたであろう村は、今は見捨てられたように静まり返っていた。
リリアは、自分が聖女として過ごしてきた日々を思い出す。孤児院で虐げられ、教会に拾われてからは、聖女としての力のために利用されてきた。癒やしの力があると知ったのは、五歳の頃。それからずっと、祈りと奉仕の日々だった。
しかし、ある日突然、聖女長クラウディアに濡れ衣を着せられた。『聖女の力が弱まった』『悪魔と通じている』という偽りの罪。魔力を封じられ、辺境へ追放された。
「もう、誰も信じない」
リリアは、自分に言い聞かせるように呟いた。信じたところで、裏切られるだけだと知っている。
村の中を歩きながら、リリアは何か使えるものはないかと探した。しかし、どの家も荒れ果て、生活の痕跡はほとんど残っていない。唯一、村の中央にある井戸だけが、かろうじて形を保っていた。
「水は確保できるわね」
リリアは井戸の水を汲み、喉を潤した。冷たい水が、疲れた体に染み渡る。
「まずは、寝る場所を見つけないと」
リリアは、一番しっかりしていそうな家を選び、中に入った。床には藁が敷かれ、簡易的なベッドになりそうだった。
荷物を下ろし、リリアは一息つく。しかし、すぐに空腹を覚えた。乾いたパンをかじりながら、今後のことを考える。
「畑を耕して、野菜を作って……それで何とか生きていけるかしら」
リリアは、孤児院で教わった植物の知識を思い出す。薬草の育て方や、食べられる野草の見分け方。それらが、今の自分を支えてくれるだろう。
「まずは、明日から始めましょう」
リリアは、藁の上に横になった。天井の穴から、星が見える。
「……寒い」
夜風が、体を冷やしていく。リリアは、自分の体を抱きしめるようにして、目を閉じた。
明日から、新しい生活が始まる。不安と、ほんの少しの期待を胸に。
翌朝、リリアは早くから目を覚ました。まだ薄暗い中、村の周囲を探索することにした。食料になるもの、薬草になるものを見つけるためだ。
村の外れには、森が広がっている。リリアは、慎重に森の中へ足を踏み入れた。
「……これは、カモミールね。お茶にできるわ」
足元に生えている植物を、リリアは次々と確認していく。孤児院で学んだ知識が、今になって役立っている。
しばらく歩くと、リリアは異変に気づいた。茂みの陰で、何かが動いた気がしたのだ。
「……誰かいるの?」
リリアは、声をかけてみた。しかし、返事はない。代わりに、苦しそうなうめき声が聞こえてきた。
リリアは、恐る恐る茂みに近づいた。すると、そこには一人の少年が倒れていた。年は十歳くらいだろうか。顔は真っ赤に腫れ上がり、額には脂汗が浮かんでいる。
「ねえ、大丈夫?」
リリアは、少年の体を揺さぶった。しかし、少年は反応しない。熱が高いようだ。
「このままじゃ、死んでしまう」
リリアは、少年を抱き起こした。体は驚くほど軽い。
「村に連れて帰って、手当てをしないと」
リリアは、少年を背負って村へ戻ろうとした。しかし、その時、森の奥から低いうなり声が聞こえてきた。
「……魔獣?」
リリアは、背筋を凍らせた。かつて、聖女として魔獣と戦ったことはある。しかし、今の自分には魔力がない。まともに戦うことはできない。
「どうしよう……」
リリアは、必死に考えた。このままここにいれば、魔獣に襲われるかもしれない。しかし、少年を置いて逃げるわけにもいかない。
「……走るしかない」
リリアは、少年を背負ったまま、村に向かって全力で走り出した。背後から、魔獣の足音が迫ってくる。
「はぁ……はぁ……」
息が切れる。足がもつれる。それでも、リリアは走り続けた。
「もう少し……もう少しだから!」
村の入り口が見えてきた。しかし、その時、リリアの足が石につまずいた。
「あっ!」
リリアは、少年をかばうようにして倒れた。膝を強く打ち、痛みが走る。
「……くっ」
リリアは、歯を食いしばって立ち上がろうとした。しかし、足が動かない。
「このままじゃ……」
リリアは、絶望的な気持ちで後ろを振り返った。しかし、魔獣の姿はなかった。どうやら、森の奥へ戻っていったようだ。
「……助かった」
リリアは、ほっと息をついた。しかし、少年の熱は上がる一方だ。
「このままじゃ、本当に死んでしまう」
リリアは、少年を再び背負い、何とか村の家までたどり着いた。
「水……冷たい水で体を冷やさないと」
リリアは、井戸から水を汲み、布を濡らして少年の額に乗せた。しかし、それだけでは足りない。
「薬草が必要……でも、森には魔獣がいる」
リリアは、自分の無力さを噛みしめた。魔力があれば、回復魔法で一瞬で治せるのに。しかし、今の自分には、知識しかない。
「……知識でも、何とかできるはず」
リリアは、少年の症状を思い出した。高熱、腫れ、苦しそうな呼吸。これは、もしかしたら……。
「毒草による中毒かもしれない」
リリアは、孤児院で教わったことを思い出す。特定の毒草を食べると、こうした症状が出ることがある。
「解毒には、オオバコの葉が効くはず」
リリアは、決意した。再び森へ行くのだ。魔獣の危険を冒してでも、少年を助けるために。
「行くわ」
リリアは、手近にあった棒を拾い、武器の代わりにした。そして、再び森へと足を踏み入れた。
リリアは、森の中で慎重にオオバコを探した。魔獣の気配に怯えながらも、少年を助けるという思いが、恐怖に打ち勝たせた。
「……あった!」
リリアは、オオバコの葉を見つけた。急いで摘み取り、村へ戻る。
少年の家に駆け込み、リリアはオオバコの葉をすりつぶして、その汁を少年の口に含ませた。
「……飲んで」
少年は、無意識にごくりと喉を動かした。リリアは、何度か繰り返して、薬を与えた。
しばらくすると、少年の呼吸が落ち着いてきた。熱も、少しずつ下がっているようだ。
「……よかった」
リリアは、ほっと胸をなで下ろした。しかし、まだ油断はできない。
「このまま、様子を見ないと」
リリアは、少年のそばに座り、一晩中看病した。時折、濡れ布で額を冷やし、水を飲ませた。
夜が明け、朝日が差し込む頃、少年はようやく目を覚ました。
「……ここは?」
少年は、ぼんやりと周囲を見渡した。
「大丈夫? 気分はどう?」
リリアが、優しく声をかけた。
「……あなたは?」
少年は、リリアの顔を見て、不思議そうに尋ねた。
「私はリリア。あなたが倒れていたのを見つけたの」
リリアは、簡単に説明した。少年は、まだぼんやりしているようだったが、自分の置かれた状況を理解したようだ。
「……ありがとうございます」
少年は、かすれた声でお礼を言った。
「いいえ。でも、どうしてこんな場所に一人でいたの?」
リリアが尋ねると、少年はうつむいた。
「……村の薬師さんに、薬草を採ってきてほしいって頼まれて。でも、森で迷ってしまって……」
少年は、そう言って目を潤ませた。
「そうだったの。でも、もう大丈夫よ。ゆっくり休んで」
リリアは、少年の頭を優しく撫でた。
その時、家の外から足音が聞こえてきた。そして、戸が勢いよく開かれた。
「おい、坊主! 無事か!」
入ってきたのは、一人の男だった。年の頃は二十代後半。すらりとした体つきで、鋭い眼差しが印象的だ。手には、薬草の入った籠を持っている。
「……あなたは?」
リリアが尋ねると、男はリリアを一瞥し、少年に視線を移した。
「俺は、この村の薬師のユーリだ。坊主が森で行方不明になったと聞いて、探していたんだ」
ユーリは、そう言って少年の状態を確認した。
「熱は下がっているな。お前が手当てをしたのか?」
ユーリは、リリアに問いかけた。
「はい。オオバコの葉をすりつぶして、飲ませました」
リリアが答えると、ユーリは少し驚いた表情を見せた。
「……よく知っているな。この辺りでは、オオバコはあまり使わないんだが」
ユーリは、リリアをじっと見つめた。その視線に、リリアは少し居心地の悪さを感じた。
「……孤児院で、薬草のことを教わったので」
リリアは、そう答えた。ユーリは、さらに興味深そうにリリアを見る。
「そうか。ところで、お前は何者だ? こんな廃村に、一人で何をしている」
ユーリの問いかけに、リリアは言葉を詰まらせた。
リリアは、ユーリの問いかけに答えようとした。しかし、何と説明すればいいのか分からない。聖女だったこと、追放されたこと。すべてを話すべきか、それとも隠すべきか。
村の薬師ユーリが現れ、リリアに「ここで何をしている」と問い詰める。






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